自 然はすばらしいです。ほら、私たちの周りを見てみましょう。色々な数え切れないほどの動物や植物の種類があるでしょう。象のような大きい動物にしても、 ヴィルスのような小さい生物にしても、生きるために様々な複雑なことをしています。今回、自然のすばらしさの例として蜜蜂を考えてみましょう。
蜜 蜂は蜜の置き場を六角形に作ります。数学者によると、六角形は他の形と比べて、一番効果的と言われています。なぜかというと、同じ範囲に置ける蜜が一番多 くて、作るのに必要な材料も一番少ないからです。さらに、この蜜の置き場を作る際、中心からでなく、端から色々始めて、最後に中心で会うようになります。 それにもかかわらず、誤差とか間違いは全然ありません。即ち、正確さが高いということです。人間の場合、このようなことは精密な設計をしなければできよう はずもありません。
蜜 の置き場の作り方だけでなく、蜂たちの間の伝達のし方も非常にすばらしいです。食べ物を見つけたら、一匹の蜂が蜂の巣を目指して一直線に飛びます。着いた とき、他の蜂に特別な踊りによって食べ物のある場所の角度や距離や方向などの情報を伝えます。そうすることによって、他の蜂は食べ物のある場所が分かって 簡単に食べ物が取れるのです。
また、蜂の社会制度の面から見てもすばらしいことがあります。個体数の統制の仕方とか、社会的階級制度など人間にはまだ解決できていませんが、進化論によると人間よりずっと下の段階にいる蜂は解決しています。これはすばらしいと思いませんか。
私 はこのような現象を見て、こう考えました。「どんなふうに、蜂はこのようなことができるのか」、「どこから学ぶのか」と考えました。生まれたままの蜂は自 分で蜂の巣の作り方とか伝達のし方を考えることはできようはずもありません。それで、誰かが考えてあげたにちがいありません。この「誰か」は神様ほかなら ないと思います。なぜかというと、自然の生物の中に自分自身が一番偉いと思う人間でさえこのようなことができないからです。
その上、人間のためにも神様は蜜蜂を通してたくさんのことをもたらしてくれると思います。例えば、なぜ蜂は、いつも自分に必要なだけでなく、人間の体にとっても栄養が豊かな蜜を作るのか。まさか、蜂は人間と契約があるのでしょうか。そんなことないでしょう。
このように、人間の能力は神様の巨大な力と比べれば弱くて、神様の作った森羅万象の中のただほんの小さい生物です。だから、人間は横柄さとか尊大さという気持ちを持つべきではないと思います。神様に頼っているのだから、人間は神様を崇拝しなければなりません。
2003年2月のスピーチコンテストで読み上げられたもの。
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